ミシガン大学MBA日本人ブログ

ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネス在校生、卒業生の日頃の生活や学習内容などを紹介していきたいと思います。

人生を変えた授業(卒業生からの寄稿)

こんにちは。FMBA Class of 2022のM.T.です。本日はミシガンロスの卒業生からの寄稿文を掲載します。寄稿文では、ロスでの学びが卒業後のキャリアにどのように活きたかについて記載してもらいました。

ロスへの入学に関心のある方には、ロス入学後の学びやキャリアを具体的にイメージするうえで参考になる内容かと思いますので、ぜひご一読ください。

なお、私が卒業生に寄稿を依頼して、即座に快諾してもらえたのも、アラムナイ・ネットワークの強いロスの良い点だと思います。他校のMBAブログと比べても、アラムナイからの寄稿があるのはロスのみでした。

 

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「人生を変えた授業」  有賀 誠(Class of 1993)  

Michigan/Ross MBA Class of 1993の有賀と申します。ビジネス・リーダーを目指す方や留学を志す方に、この文章を読んで頂けましたら幸いです。

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私はこれまで、①伝統的な日本企業(日本鋼管、三菱自動車)、②典型的な多国籍企業(GM、IBM、HP)、③日本企業の新潮流(ユニクロ、ミスミ)で働いてきました。色々な世界を見ることができたのみならず、40歳で役員、46歳では売上150億円のファッション・ブランドの社長も経験したので、恵まれたキャリアであったということができるでしょう。一方、4回も解任をされており、プー太郎やしがないミュージシャン稼業であった時期も含めると、「波乱万丈」とも言えます。キャリアにおける出来事を数えてみれば、成功よりも失敗の方が多かったかもしれません。それでもこれまで、そして今も、「やりたいことをやりたいようにやる人生」と胸を張り、自分の信念を大事にしながら戦い続けていられるのは、Michigan/Rossでの体験があったからこそだと考えています。

 

問題意識

私は1981年に大学を卒業し、日本鋼管(NKK、現在のJFE)に入社しました。広島県福山市にある製鉄所勤務となり、生産管理を担当していました。そこには6年間おり、原料・材料の手配から、工程計画の作成、顧客への製品出荷の管理、それらを統括するシステムの設計等、製鉄所の生産管理の全般を経験しました。1980年代中盤、NKKは全米第4位の鉄鋼メーカーであるNational Steel 社を買収し、私は1987年にそのデトロイトにある製鉄所に駐在員として派遣されました。業務としてはそれまで同様の生産管理ですが、そこでの任務は自分で仕事をするということよりも、現状プロセスの分析、改善への提案、システム化、米国人への申し送り等が軸でした。

日本企業に買収されて将来への不安を抱えた現地の社員の中に溶け込むのは容易なことではありませんでした。反日感情が強い時期・地域ということもあり、「黄色い若造」のお手並み拝見・・・という視線の輪の中、緊張の中での駐在員業務が始まりました。

チームの一員として認められるためにはどうしたらいいかと考え、自分の提案をすべて米国人社員の手柄にしようと思い立ちました。これはうまく行きました。皆がアドバイスを求めてくるようになり、重要プロジェクトには自然と声がかかる存在になりました。

業務の中では、日米のビジネス文化の違いに驚くことが多くありました。先ずは、書類の書き方。日本では「起承転結」でスト-リーを構築しますが、英語でそれをやったところ、お前は何が言いたいのかわからないと評されました。話を聞くと、現地でのビジネス文書の定型は、結論を先に述べ、後からそれに肉付けをしていくものだとか。次には会議での発言。当時私は米国人のマネージャーと一緒に仕事をしており、彼とは常に意見交換をしていたので、各種の案件について同じ考え方をしていました。一緒に会議に出席をすると、そのマネージャーが代表で発言し、私は黙っていました。そのような会議が数回続いた後、彼に呼ばれました。

 

「有賀、お前はそこそこ英語ができるのに何故会議で発言をしないのだ」

「だって、私は貴方と同じ意見なのだから、言うだけ時間の無駄じゃないか。

日本では隣に座っている人間と同じことを喋ったら、時間の無駄と非難されるよ」

「ここではそうではない。お前が私と同内容の発言をすることによって、それが複数

意見であるということが皆にわかる。発言しないのなら、会議には来なくていい」

 

実務者レベルですらこのような苦労をしていましたから、経営幹部にとって状況は深刻でした。NKKの役員クラスが米国法人の幹部として送り込まれていましたが、企業としての経営はお粗末なものとなっていました。もちろん優秀で英語もできる人達が選ばれていたわけですが、米国のビジネス慣習や法律や労務管理に関する知見を持たずに経営の意思決定を行うことの無理が顕在化していたのです。必要な意思決定が行われず、またとんちんかんな判断が下される等、組織は混乱していました。

 

いざ、ビジネス・スクールへ

私は上述の組織の状況を内部から見ていて、このようなグローバルな環境の中でパフォーマンスを発揮することができるビジネス・リーダーの欠如、そして自分自身の力不足をも、強く認識するに到りました。そして、自分自身のキャリア目標を、グローバル企業でビジネス・リーダーとなることと設定しました。そのための体系的なトレーニングを受けられる場の可能性として、ビジネス・スクールを意識しだしたのがこの頃です。いわゆる仕事のできる米国人マネージャーがほとんどMBAであったことも一つのヒントとなりました。

当時からビジネス・スクールに対しては批判もありました。短期利益指向、人やその集合体としてのチームの軽視、机上の空論等です。しかし、私は「内容を知らずに批判だけする」のは危険であると思い、とりあえず入学してやってみよう、つまらなかったら辞めればいいと考えました。(後でわかったことですが、ビジネス・スクールはここに述べた批判項目へはすでに対応済みでした。小改善を継続的に積み重ねていく日本的な企業文化にも誇る部分はあると思いながらも、批判を正面から受け止め、大胆に改革を行う米国の気質にも本当に感心しました。)

私は駐在員として昼間は働きながら、パート・タイムで夜間のプログラムに参加をしようと思い、その旨を会社に伝えました。「学費をサポートしてもらえないか。日本から企業派遣で社員を留学させると機会損失コストも含めて年間2千万円程度かかるが、私はすでに駐在員として米国で生活をしており、会社にとって限界的に増えるコストは授業料だけである」と。人事部の反応は「そのような制度はない」という冷たいものでした。私はがっかりしましたが、自腹でもビジネス・スクールへ行くことは決めていたので、準備を進めました。

夜間の学校へ通うには、それまでと同様の残業はできないということになります。これは、上司・上長に伝えておかざるをえません。そこで、米国法人の事実上のトップであった日本人副社長のところへ大学院修学の計画を報告に行きました。私は恐る恐る切り出しました。組織の文化を考えると、「学校へ行くような暇があったら、もっと仕事をしろ!」と言われるとばかり思っていたからです。ところが、その副社長は「有賀君、それは素晴らしいことだ。石にかじりついてでも最後までやり通せ。とにかく受かって行き始めてしまえば、既成事実化して、会社としても認めざるをえなくなる。俺がサポートする。頑張れ」と励まして下さったのです。思うに、前述のような環境の中で副社長御自身が多大な御苦労をされ、若いうちからのトレーニングの必要性を痛感しておられたのでしょう。そして結局、副社長の言った通りになりました。パート・タイムで通っている間は現地法人が学費をサポートしてくれ(単位ごとに成績が一定以上であった場合、授業料を払い戻してくれる Tuition Reimbursement Program)、駐在員としての任期が終了したタイミング(その頃には、社内に応援をしてくれる人たちも大勢)よりフルタイムの企業派遣生として頂きました。

パート・タイムの修学は、スケジュール的にはハードでした。昼間は普通に仕事をして、夜7時~10時が授業です。その後、グループ・スタディがあり、レポート提出の直前などは午前2~3時までかかることもありました。そして翌朝は6時に起きて会社へ行くわけです。当時3歳の娘と遊ぶ時間を犠牲にしてのこのような生活は楽ではありませんでしたが、刺激と活気に溢れたものでした。授業で学んだことをすぐに職場で活かすことができる、会社での経験をすぐに学校でのディスカッションにつなげられる、というBusiness-Academism の距離の近さは心地の良いものでした。

 

私がビジネス・スクールに通うに際して自分自身で掲げた目標は以下の3つでした。

  1. ゼネラル・マネージャーとなるための幅広いビジネス知識の習得
  2. 米国におけるビジネスのフレームワークの理解
  3. 自分と同世代の優秀な米国人とのネットワーキング

 

Michigan/RossのMBAプログラムはこれらの期待に充分以上に応えてくれたのみならず、当初の期待にはなかった以下の2つをも提供してくれました。

  1. 自らが所属する組織を客観的に分析する機会とそのためのスキル
  2. 多岐分野にわたる日本人同窓生のネットワーク

(業務の上でも、転職をする上でも、極めて有用です)



人事・組織への興味

ビジネス・スクールでは、企業戦略と人事・組織論を中心に勉強しました。企業戦略については定番ともいえますが、ここで、何故人事・組織に関心をもったかを述べさせて頂きます。きっかけは、National Steel 社で仕事をしている中で面白いことに気がついたからでした。生産管理の手法やアカウンティング経理やマーケティングの考え方には、日米でそれほど差があるとは思えませんでした。ところが、こと「人」に関しては、ショッキングなほどまでに違いがあったのです。

よく「日本は年功序列、米国は実力・個人主義」と言われます。しかし、現実はそんなに単純なものではありません。確かに日本のホワイトカラーは年功序列的な枠組みの中にあることが多いのですが、メーカーの生産現場に行けば、つまりブルーカラーについては、実力のない人間が作業長・工長・職長といった現場のリーダー・ポジションに就くことはありません。一方、典型的な米国の組織を見ると、ホワイトカラーの世界は実力主義(若いエリートが登用されることが多い。彼らは頭もいいし、プレゼンテーションも上手いが、あまりにも早く昇進しすぎたため実務経験・感覚に乏しいことがある。その下で働いている者たちは、同じ仕事を何十年もやっており、そのような中からは改革や改善といった意欲は出てこない)であるが、反面、ブルーカラーは強力な労働組合の存在によってガチガチの年功序列(若いワーカーが良い仕事をしても、マネージメントとしては報いる手段がない。レイオフは若手から)です。

つまり、「日本:ホワイト=年功序列、ブルー=実力主義」「米国:ホワイト=実力主義、ブルー=年功序列」と、ちょうど裏返しになっていると思いました。そして、ここにこそ、グローバルな組織のマネージメントの鍵があると考えたのです。企業戦略の最重要な構成要因が「人」だと。このことが、今の私自身と、自分の仕事につながっています。

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人生を変えた授業

私の人生を変えたともいえるMichigan /Rossでの体験、そして、恩師を紹介したいと思います。

C.K.プラハラド先生は、戦略論の教授でした。今やビジネスの定番用語となった「コア・コンピタンス」という概念を世に広めた人物です。その名著「コア・コンピタンス経営」は、もはやビジネスの古典と呼んでも差し支えないでしょう。

看板教授であり、著名コンサルタントでもあったプラハラド先生は、熱い教育者でもありました。通常、ビジネス・スクールの教師は、1つの学期中に同じテーマを2コマまでしか担当しません。教師だって同じことを何回も語るのは飽きるからです。ところが、学生からの大人気に応えるべく、先生は5コマも教えて下さいました。また、自宅に学生を招いて、手料理を振る舞って下さるような方でもありました。

その授業は大変厳しく、「本件に関する君の考えは? どうして? 根拠は? データは? 判断基準は? 何故?」と、一度指名されると質問の手が緩むことはありません。徹底した予習と、深く強く考え抜くことを学ばされました。

私が卒業直前に受講したプラハラド先生の講義は ”Corporate Revitalization” というもので、MBA プログラムの集大成のような内容でした。GM、GE、IBM、AT&T、松下(現パナソニック)という5社のケース・スタディであり、1社につき500ページほどの資料を読み込まねばならず、量的にも大変なハード・ワークが求められました。

当時(1992~1993年)は日本的経営がもてはやされていた時代だったのですが、プラハラド先生の教えは「GMにも、GEにも、IBMにも、AT&Tにも、松下にも、それぞれ良い時も悪い時もあった。業績が良かった時には、そこには必ず素晴らしい経営判断と戦略があった。悪かった時には、経営判断と戦略がまずかったはずだ。“日本流”が良いとか、“米国流”が悪いとかは、ナンセンスな議論である。経営の是非を文化のせいにしてはならない。世に存在する違いは、“良い経営”と“悪い経営”であり、それを分けるのは文化ではなく、経営判断と戦略だ」というものでした。

以下は、この講義の最終回、授業を終えたプラハラド先生が私たちに贈ってくれたメッセージです。

 

「君たちは明日卒業の日を迎え、ここから巣立って行く。志を高く掲げ、情熱を持って、それぞれがビジネスの世界へ戻って行くことであろう。この2年間、君たちは自分自身が企業のCEOであるという想定の下、ケース・スタディにおける議論を展開してきた。目線も意識も、経営トップとなっているはずである。ところが、企業社会に戻った君たちの現実は、せいぜいが中間管理職であろう。おそらくは上司がいるはずだし、意地悪な先輩や足を引っ張る人間もいるかもしれない。そして、すべての会社や上司が優秀とはかぎらない。誤った判断や政治的な動きと対峙しなければならない時もあるだろう。そのような時、君たちには自らの志と思想と信念に基づいて行動をしてほしい。自分を欺き、組織にしがみつくような生き方をしてはくれるな。そのようなことをせずとも、世の中は常に君たちのような人材を必要としており、活躍の場は無限大だ。君たちはMichiganのMBA、そして私の教え子だ。真のリーダーであってほしい。」

 

プラハラド先生が教室を退出された後も長い間、拍手は鳴り止みませんでした。私はボロボロ泣きながら、真のリーダーとなるべく努力することを心に誓ったのです。

私は、プラハラド先生の教えをかなり忠実に守って生きてきたと思います。結果として、8回も転職を重ねてしまいました(笑)。

 

最後に

自分も企業派遣で行っておきながらけしからんことではあるのですが、私は日本企業が留学生をビジネス・スクールへ送ることには反対です。卒業帰国後にそれが活かせるような業務、そして将来のリーダーとしての処遇を用意できるのであれば、もちろん反対などしません。残念ながら、ほとんどの企業で、それが出来ていないと思います。本当にMBAが組織に必要ならば、派遣するのではなく、ビジネス・スクールの卒業生を採用した方がよほど効率的です。

そうは言っても、典型的な日本の企業にとってもMBAの価値は0ではありません。一般的に、組織内の人間のほとんどは自分の上司を向いて仕事をしています。上司と喧嘩をしてまで自分の意見を主張する人物、或いはそれを許容する組織というのはなかなか少ないものです。そのような中でMBAは、組織にしがみつく必要性を感じない人種です。相手が上司であろうが、社長であろうが、自分が正しいと信じることを自分の言葉で説得力をもって発信していく人種です。このような人間を組織内に抱えていることは、いかなる企業にとっても(もちろん日本企業にとっても)健全なことではないでしょうか。

「ビジネス・スクールへ行って良かったですか?」という質問をよく受けます。私の答は常に100%「はい!」です。生産管理のバックグラウンドしか持たない私が卒業後にNKK本社の企画部門で仕事をする機会を与えられたのも、そこでの業務遂行に必要な知識や人脈を持つようになったのも、転職のチャンスをつかんだのも、人事分野の仕事をするようになったのも、一人事マネージャーでしかなかった者が短期間で経営全般を任せられるようになったのも、そして何より、自分自身のキャリアについて主導権を持って「やりたいことをやりたいようにやる人生」を送っていられることも、Michigan/Rossへ行ったからこそです。です。誤解のないように言っておきますと、MBAそれ自体はただの学位であり、大した価値はありません。大きな財産として得たものは、「ビジネス・リーダーとしての姿勢」です。典型的な年功序列型の日本の組織では、地位が上がるに従って学ぶということが少なくなります。しかし、欧米企業のエクゼキュティブは常に自己研鑚を行っています。そうしないと、自らの存在価値が疑問視されるからです。考えてみて下さい。部長か次長になってから20年間はんこをついているだけの人と、その間学び続けている人と、ビジネス・リーダーとしてどれだけの差がつくことか。

ここまでこの長い文章にお付き合い下さった方々、どうもありがとうございました。是非とも、志を持つリーダーとなること、そのためにも明確な目的意識を持って留学を計画すること、そして学び続ける姿勢をもって生きること、をお願いしたいと思います。Michigan/Rossは、そのような人たちの成長と飛躍を力強く応援してくれることでしょう!

 

株式会社 日本M&Aセンター

常務執行役員 人材ファースト統括

有 賀  誠

(Japan HR Award 2020受賞)

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